反省会:最適解が嫌いとか何とかの件について
件の記事を公開したことをツイートしたところ、皆さんから様々なお言葉を頂戴しました。脳内小学生ゲーマーの戯れ言にお付き合い頂き、感謝申し上げます。
感情論が過剰すぎた
さしあたって初めに反省しなければならないのは、「モンスターハンターシリーズ」と「Among Us」というプレイ人数も対戦相手も違うゲームを並べて無理のある論理を展開していた点です。これは純粋に感情によって論理的に判断できなかった私のミスです。お詫び申し上げます。
対人ゲーとプログラムで動く敵キャラを同じ感じで話してるので躓いてしまった
— Relga(れるが) (@BarHydReral) 2021年1月25日
論理的に話してるところを個人の感覚で潰されるのクソすぎて萎えるわ
— Relga(れるが) (@BarHydReral) 2021年1月25日
仰る通りです。
とはいえ、あの記事に書いた内容は全てありのままの自分の姿なので、戒めとして残しておくことにします。
セオリー学習を怠っていた
また、昨日の自分の中の問題に対する答えを空リプで導いてくださった方がいらっしゃるので、紹介させて頂きます。
ゲームでは基本的に
— アズマ (@4ColorMyAzuma) 2021年1月25日
「セオリーを知っている」
「セオリーを知らない」
には天地の差がある
セオリー通りに動くかは個人の判断だとしても、セオリーがある場合にはセオリーがどういうものかは知っておかないと、場合によってはギスったり煽られたりするケースに発展する可能性もある
セオリーなんて知らなくてもゲーム自体は遊べるけど、今はどうしてもゲームを続けていくと他者との交流が多くなりがちだから、上を目指す、目指さないに関わらず遊ぶゲームコンテンツのセオリーを学んでおくこと自体はいいことだと俺は思います
— アズマ (@4ColorMyAzuma) 2021年1月25日
強制はしないけど結局それが一番の自衛になるんですよねぇ。0にはできないけど嫌な気持ちにしたりさせられたりを確実に減らせる部分だと思いますわ( ´△`)
— 安曇野 (@_aDuMi) 2021年1月25日
ですねえ
— アズマ (@4ColorMyAzuma) 2021年1月25日
完全ソロで完結するゲーム、あるいはプレイスタイルなら個人の自由でよいと思いますが、今はどうしても他者との関わるゲームコンテンツであるケースが多いので…
自分もなんらかの事情でご一緒する人もお互い快適にゲームする上ではある程度セオリーは知っておくと良いかなあと
そうなんです。私、Among Usについてはセオリーを学ぶことを怠っていました。このゲームはなんというか気楽に遊べるイメージがあったので、そういったものを後から学ぼうとせずに内輪のその場その場の勢いで楽しもうとしていました。
普段はゲームについての有志が作成された攻略wikiを読む等の手段でセオリーを学んでから、ゲームを遊んでいました。例えばSplatoon2は敷居が高そうだったから、予めwikiを読んで基本的な考え方を学んでから遊び始めておりました。結局ナワバリバトルばかり遊んでいましたし、レベルもぜんぜん上がっていないですが。
Among Usのそういう解説してるサイトあるかなぁ……と思って探したのですが、基本的な立ち回りはともかく今回話題に挙げたような最適解どうのこうのという情報が書かれた文章サイトを見つけられなかったのです。
もしかして、Among Usのセオリーが学べるのは動画しかなかったりするんでしょうか。それだと動画観るよりも文章読んでばっかり人間な自分には難しい学習分野だなぁ……
文章より動画観るほうが億劫に感じちゃう人間です、という話はまた別の記事で書きます。
ためになった空リプ
昨日の記事は空リプ率が高かったので、折角なので手当り次第拾ってみることにしました。その中に、ありがたい意見がありましたので抜粋して紹介させて頂きます。
最適解を取り巻く3つのプレイヤー層
言うて自称ガチ勢も最適解探そうとなんてしてなくて、最適解っぽいものをどっかから引っ張ってきてるだけで思考もクソもないよな(いまだにルールが理解されないスプラトゥーンの惨状を見ながら)
— Takt (@Takt_210) 2021年1月25日
最適解を求める層と、最適解っぽいのを見つけてきて何も考えず遊びたい層と、とにかくワイワイしたいだけで負けっぱなしでさえなければ勝敗はそこまで気にしない層の3つがあるんよ
— Takt (@Takt_210) 2021年1月25日
ゲームは楽しんだもん勝ち
— Takt (@Takt_210) 2021年1月25日
コミュニケーションツールとして使うなら最適解は見つけないようにした方がいいのは間違いない
()部分でちょっと笑ってしまいました。たまにタイムラインで流れてきますね……。
確かに「最適解を探す人」と「最適解を使う人」と「負け過ぎなければ何でも楽しめる」って分け方は結構納得行くなあ。その中だと自分はどこだろうなぁ…少なくとも最適解に関わってるのは間違いないんだけど(自分で嫌いって言ってるくせに)。これもまたプレイヤー1人に対するゲームごとにスタンスが異なってきそうな気がしています。
『コミュニケーションツールとして使うなら最適解は見つけないほうがいい』。これは肝に銘じておきたい名言ですね……(スマブラSPでドンキーコングの↓Bを連打しながら)。
"プレイスタイル" での自動マッチングは既に可能なのではないか
本質的にはMMOでも同じだな
— 髷@超限界突破した指揮官さん🦍 (@KK24565533) 2021年1月25日
PK可能なシステムというのはそれだけで一つのフィルタになっていた。プレイに対する姿勢が一定の範囲で似通ったプレイヤーを集めるフィルタね(~'-')~
— 髷@超限界突破した指揮官さん🦍 (@KK24565533) 2021年1月25日
FPSのマッチングが持つ問題もまた本質は同じで、単に勝率やキルポといったレートでしか見ていないことが問題の根幹にある。プレイスタイルや得意なロールを自動分析してマッチングされたプレイヤーにとってより満足度の高い抽出が行われるようなビジョンを持ってほしいよな(~'-')~
— 髷@超限界突破した指揮官さん🦍 (@KK24565533) 2021年1月25日
AIはプレイヤーの熱量やスタイルを測定して結びつかせるために働く、そういう時代に来ているのではないか
— 髷@超限界突破した指揮官さん🦍 (@KK24565533) 2021年1月25日
この方の視点、なかなか興味深いです。確かに純粋に戦績が良い悪いというだけでなく、ゲームに対する向き合い方が似た人々同士をマッチングさせることができる時代なのではないか。と言われると確かに納得させられます。
こういった考えが浸透していないのはリソースの問題か、各種マッチング帯ごとのプレイヤー数が分散してしまう恐れがあることか、純粋に技術力の問題か。何かしらの課題点がありそうです。
セオリーを学んでからゲームに臨むのは正しい姿なのか
多人数の協力要素があるゲームで私がガチになり切れない理由がほとんどこの辺に書かれてたわ。わかりみが深すぎる
— Clock/VCT@祝!ガレ魔女発売! (@ClocQ_VCT) 2021年1月25日
ちょっと気持ちがまとまらないので垂れ流す、ゲームにおいて事前調査を行ってから臨むというスタイル周りの話
— Clock/VCT@祝!ガレ魔女発売! (@ClocQ_VCT) 2021年1月25日
と、その前にこれを書く必要あんのか
— Clock/VCT@祝!ガレ魔女発売! (@ClocQ_VCT) 2021年1月25日
あくまで私個人の意見としては、(プロゲーマーでないことを前提とした上で)「調べてからゲームに臨むのが前提となってしまうのは健全とは言えない」と思っています。
ただし公式に(暗黙的にでも)それを推奨している場合を除く。
※ 以下はPvPのチーム戦に限った話
少なくとも「野良に入ろうと思う場合は」、調べるのが前提と言わざるを得ないだろうなぁとは思います。
— Clock/VCT@祝!ガレ魔女発売! (@ClocQ_VCT) 2021年1月25日
個人的にはあまりこれも健全とは思えないんですが……
ただ秩序を守る上で出来上がってしまった不文律だしなあ。
で、身内の場合をどう考えるか、か……
— Clock/VCT@祝!ガレ魔女発売! (@ClocQ_VCT) 2021年1月25日
事前にある程度のコンセンサスが取れているのが理想。
少なくとも初回は全員情報のない状態から始めるのがあるべき姿のように思う……と言ってしまっていいのかなあ、これ(悩んでる)
つまり
— Clock/VCT@祝!ガレ魔女発売! (@ClocQ_VCT) 2021年1月25日
A. 調べると言う発想がない層
B. 調べることは可能だけど調べずに触れるべきと思う層
C. 事前に調べてから臨む層
のBはどうあるべきか、と言う話なのかなあこれ
先に挙げたような『セオリーを学んでからゲームを始めるべし』という点が標準化してしまっているのは健全ではない、という方意見をお持ちの方の一連のツイートですね。じっくり考えてくださっています……まだ途中のようなので、こっそり続きを追っていきたいと思います。
ちょっと長くなってしまったので、残りのありがたいツイートについては別の記事に分けてまとめようと思います。
とりあえず、今回得た知見は
- ジャンルの違うゲームを並列に並べて話を展開しようとしない
- どんなゲームでもセオリーを学んでから臨むべし
- コミュニケーションの延長としてゲームを使うなら、ほどほどに楽しもう
といったところでしょうか。学ぶべきことは、まだまだ山のようにありそうです。