ゲームについての異様な思い出から自分のルーツを辿る
本能的に安全マージンを求めすぎた結果、強者による弱者の蹂躙を行っていた幼少期。数多の創作力が爆発し黒歴史となった少年期。ゲームを手段として見知らぬ他者と交流し始めた青年期。
最近まで『特にパッとしない日常だけを経験したまま大人になってしまった』と自負していたが、よくよく思い返してみれば、昔の自分は一般とはかけ離れたような『ゲーム』との関わり方をしていた。
幼少期:本能的に安全マージンを求めていた
私の記憶がある限り、私が一番最初にハマっていたゲームは『ポケットモンスター クリスタル』だ。厳密にはGB版ヨッシーのクッキーやドラえもんカートというゲームも遊んだことがあるらしいが、私には憶えがない。
といっても、なぜかストーリー本編を自身の力で進めた記憶はないのである。おそらく、初めたはいいが途中で投げ出してしまい、母親に頼んだのだろう。
ではどんな記憶が残っていたのかというと、『アサギシティでひたすら釣りをして、レベル20〜30程度のクラブという野生のポケモンを相手にレベル100のオーダイルというポケモンでひたすら蹂躙する』という光景である。思い返しただけでも異様な記憶である。もちろん当時の私は通信対戦どころかポケモンの能力に関わる三値(※1)を知っていたわけでもない。
※1 三値:ポケットモンスターシリーズにおける、ポケモンの各個体の能力の数値を定めるために必要な3つの値。種族値、個体値、努力値の3つが存在する。最近のシリーズではゲーム内でほんのりとその存在が読み取れるが、『クリスタル』の頃はゲーム内で明かされていなかった。
要するに、当時の私はそういった『ゲームの裏側』を知らずにポケモンを(クラブを蹂躙することで)楽しんでいたのである。
ではなぜそんなことをしていたのだろうか。それは当時の私が本能的にそれを為していたため自分でもハッキリとは分からない。
それでも考察するならば、当時の自分は失敗することを極端に恐れていたような節があったと思う。両親には苦労をかけたものの、ほぼ不自由のない環境(※2)で育った私は、他人に比べて失敗や苦痛というに対する経験が少なかったように感じている。その結果、何かで失敗するということを恐れていたのかもしれない。
※2 ほぼ不自由のない環境:欲しいゲームを片っ端から買ってくれるわけでもなく、年に2本ぐらいしか買ってもらえなかったのが『不自由』。
ここで本能的に身についた『安全マージン』の考え方は、今でも私が未知のゲームに挑む時のみならず、SNS上において火種を生み出さないような立ち振舞い等々、日頃の様々な部分で活きていると実感している。
少年期:インターネットに触れた結果、創作力が爆発した
小学生の頃の私は、今の私が失ってしまったものを持っていた。それは創作力、それも『ルールブックなしで独自の世界観を作るのみならず、それに他人を巻き込んで疑似TRPGじみた事をする』といったものだ。
ちなみに、これは皆様にも馴染み深い、いわゆる『黒歴史』の一種である。
その昔、ぽけっと☆ぱーくという、ポケモンに関する子供の遊び場のようなサイトが存在していた。今はすでに閉鎖されており、魚拓が取られていない限りログやアーカイブも残っていないが、ポケモンシリーズに関する攻略情報を取り扱うのみならず、ポケモンをネタにお店ごっこ等々の『ごっこ遊び』ができるような掲示板や、原作で使用されていたゲーム内画像を使用してポケモンの世界のような2D空間を歩き回れるようなブラウザゲームが存在していた。
幼少期の経験を経てポケモンに興味があった当時の私もまた、そのサイトを利用していた。何をしていたかというと、攻略情報の収集ではなく、お店ごっこである。そのうえ、当時の記憶が曖昧であり現在の自分でも信じがたいのだが、その掲示板にスレッドを立てて運営していただけでなく、レス数1000に達し2スレッド目を立ててすらいたのだ……。(私にとっては)幸いなことに当時のアーカイブは2015年をもって公開を終了しているため、魚拓を取られていない限り私の黒歴史の1つが世に出ることはない。
どんなスレッドだったかについては、過去にアーカイブを一度だけ確認した結果顔を赤らめながらすぐに記憶の彼方へ葬り去った私が覚えている限りでは『探検隊がどうのこうの』みたいな内容だった、とだけ記しておく。
この経験がどうやら私にTRPGにおけるゲームマスター(進行役)のような才能を開花させてしまったらしい。具体的には、この当時の私が遊ぼうとしてすぐサービス終了してしまった『2D空間を歩き回れるブラウザゲーム』の世界観を自分の妄想だけで自由帳に落とし込み、そのうえで当時の周囲の友人を巻き込みそのTRPGじみたゲームを一緒にプレイさせていた。まさしく第2の黒歴史が誕生した瞬間である。
ちなみに段々ポケモンが関係なくなり、いつの間にかファンタジーなのかSFなのかよく分からない世界観で戦闘ゲームをしていた覚えがある。当時貪るように読んでいた星新一のSFショートショート作品の影響を受けていたのかもしれない。とはいってもTRPGのようにダイスを使っていたわけではないため、ノリと勢いで戦闘結果を決めていたような杜撰なものだったと思うが。
現在の私は、高校生以降にディベートやディスカッションを学び論理的に考える手段を身に着けてしまったからか、既成概念に囚われずに自分の世界観を広げるようなことがすっかりできなくなってしまった。そのうえこうして自分の作品をアウトプットすることだって『受け入れてもらえるか』という不安が生まれている。
それに対し、探検隊ごっこスレッドを立てたり、周りの友人を片っ端から自分の世界観に引き込んでいた頃の恐れを持たないような自分が少し羨ましくもある。今ほどインターネットが普及していなかったり当時の自分がネットマナーをあまり知らなかったのもあるだろうが、それにしたって自由奔放な生活を送れていたのだろうなと思う。
青年期:ゲームを通じ見知らぬ他人と交流することを知る
中高生の頃には、ゲームを用いた他人との交流の幅を大きく広げていた。それまでは学校の友達とゲームの話をするか休日に友達の家にゲームを持ち込んで遊ぶ程度だったのが、インターネットを介して見知らぬ他人とオンラインプレイをするようになったのである。
この頃もポケモンは遊んでいたが、それよりも私に大きな価値観の変化をもたらしたのは『モンスターハンターポータブル 3rd』と『XLink Kai』だった。
ご存じの方も多いだろうが、当時のモンスターハンターポータブルシリーズは近距離での通信機能を利用することで協力プレイを楽しむことができた。しかし、現在とは異なりインターネットを経由して協力プレイを楽しむことは(特殊な手段を用いない限り)不可能だった。
当時の私は周囲の友人が前作の2ndGという作品を楽しんでいたのを指を咥えて眺めることしかできなかったため、その反動からか3rdを長時間プレイしていた。しかし、周囲の友人で3rdを引き続きプレイしようとする人は少なく、協力プレイに飢えていたのだった。
ところが、インターネットに接続できているパソコンに接続することで他の機器のWi-Fi通信を使えるようにするような機器を入手した日から、私の生活は一変した。
その機器は『XLink Kai』というPCソフトに対応していた。それを用いることで、本来ローカル通信にしか対応していないゲームをオンラインを経由して赤の他人と遠隔でローカル通信ができるようになった。
すなわち、擬似的なオンライン協力プレイが行えるようになったのだ。
XLink Kaiの実際の画面。当時は単体でオンラインプレイが行えるゲームソフトが少なかったこともあり、一定の人気があった。
また、この画面を使用して他のユーザーとチャットで意思疎通をとることもできた。
初めてオンラインプレイをするときは「他人に迷惑をかけないだろうか」とか「失敗してしまわないだろうか」とかそういったことを気にしていたが、いざ乗り込んでみると紳士淑女の狩人ばかりで、快適な協力プレイを楽しむことができた。そして、後発の作品でオンラインプレイが実装されるよりも前から、見知らぬ他人に敬意を払うという考え方が自然と身についていったように思う。
今でこそほとんどのゲームがオンラインプレイに対応しているが、その一方でオンラインプレイ時のマナーについての話題が尽きることはない。
幸い私は何も知らなかった時に恵まれた環境で育てて頂いたものの、今から全く未経験でオンラインプレイを始めるとなると、オンラインにおけるマナーという不文律を学んでいくのは中々難しい環境にありそうだと感じている。
そのため今後、そういった『全くの未経験から学んでいくマナー』の話にも触れておきたいと思う。
現在とこれから
今回の記事では、私の過去のゲームに関する様々な経験をお伝えした。
極端に安全マージンを求め、黒歴史を創作し、オンラインに飛び込んだ私は、今も尚ゲームを遊びつつ、再びnote記事の執筆というある種の創作に手を出している。
今後もゲームを通じてどういった経験ができるか不安でも楽しみでもある。無駄なことなんてない、何事からも学びは得られる、と信じつつゲーム生活を味わい続けていきたい。