setohimaNote

感情でネタを思いつき、論理で記事を書き上げる、暇なせとのノートブック。セトヒマノート。 https://note.com/setohima から記事を移行しました。

『最強』でなくても臆さずにアウトプットできる場が欲しい

Twitterのタイムラインを眺めていると、こんな記事が流れてきた。

 

ayuha167.github.io

 

 詳しくは記事を読んで頂きたいが、私の視点で端的に整理するならば

  • インターネットの普及などの影響で、ゲームのコミュニティは『ごく小さな集団』が無数に存在していた状態から『一つの大きなピラミッド』が存在する状態に変化した。
  • 『ごく小さな集団』の中で最強だった存在は、『一つの大きなピラミッド』の中ではちっぽけな存在にすぎないと容易に気づける時代になってしまった。
  • その結果、実力面で心理的なハードルが生まれ、ローカルな人間関係の構築は希薄になりつつある。
  • こんな状況下だからこそ、「自分が最強ではないから」と臆さずにアウトプットしたり、交流の機会を設けることがローカルなコミュニティの弱体化を防ぐことにつながる。

 といった内容なのだと認識している。

 

 臆さずにアウトプットしていけるかというと、なかなかに自信がない。

 

 いつからか、少なくとも日本のインターネットは失敗を極端に叩き潰すようになってしまった。SNSが普及した頃からか、それとも巨大掲示板が存在していた頃からすでにそうだったのか。そもそも現実の日本にすら、一度失敗をしてしまうと二度と許してもらえないような空気を感じるようになってしまったのは果たしていつからだっただろうか。

 

 情報を発信する、ただそれだけでも失敗し叩かれる事例が存在する。

 情報を発信したと思ったらインフルエンサーが似たようなタイミングで同じ情報を発信しており、「パクり」だと叩かれる。

 情報を発信したはいいが、裏取りが十分にできおらず、「人を惑わせる情報だ」と叩かれる。

 

 もちろん、「情報をパクること」「デマを真実だとして流すこと」それ自体は許される行為ではなく、そういった行為を肯定するつもりもない。

 しかし、一度炎上し対応に失敗し信用を失墜してしまうと、もはや同じ場に復帰することを許されないような空気が生まれ、公の場からの永久退場を望まれるようになってしまう。

 

 数年前までは対岸の火事のような気分で有名人の炎上騒ぎや引退の報道を眺めていたが、ここ最近で自らの周囲で似たような事例を見てしまうと、どうしても他人事とは思えないようになってしまっている。

 

 直近では、VRChatでちょっとした騒ぎが起きている。全ユーザーに脅威を与えるかもしれない『ある問題』について、ある程度の証拠をもって『直接的な脅威はない』と判断するインフルエンサーがいる一方で、ある程度の証拠をもって『直接的な脅威がある』と判断するインフルエンサーも出てきたのだ。果たしてどちらが真実となり、どちらがデマになってしまうのか。

 

 気が付けば自分も見えない恐怖におびえ始めてしまっているのかもしれない。根本的にはモンスターハンターRiseのプレイ時間が少ないことにより記事を提供するに足り得る量の確証を得られていないことが原因だとは思うのだが、これまでの自分と比べてしまい何か記事を書こうとして、しかし前述のものに押しとどめられ、記事を出せずにいる。

 最近はなんだかこのブログ上にモンハンの記事しか書いていけないような枷を勝手に自分にかけているような気もしている。自分のブログだというのに、一体なぜなのか。

 

 別に、現在が「最強」でなければアウトプットできない時代というわけではない。現にこうして筆を折っている間にも知り合いのランサーは果敢に記事を作成し続けているし、知り合いのヘビィガンナーは自らのスタイルを貫きながらヘビィボウガンについて語り続けているし、知り合いの切っ先から散弾が出る大剣使いだって様々な快適装備を見つけては紹介し続けている。

 

 だから傍から見れば、ただの「心配しすぎ」かもしれない。しかし、少なくとも私にとっては、今のインターネットがぽっと出のプレイヤーやゲームを人並み程度に齧っただけのプレイヤー*1が気軽に情報を発信できるようなものにはあまり思えないのだ。

 

 聡い読者の方であれば「だったらモンスターハンターRiseで遊べば証拠が得られて記事を書けるようになるじゃないか」とお考えになるかもしれない。しかしそうすると、今度は冒頭の記事のもう一つの軸であると思われる「今、自分はゲーム(モンスターハンターRise)を遊んでいて楽しいのか」という問題に直面することになるのだ。

その話については追って別の記事として作成する。

*1:もしくは、今の自分